Re: Su-5(Current Status 2003-09-10分)

また、自分がよく利用する便利なサイトを模倣しようとするとのことですが、「Table of contents」へのリンク一つあれば必要十分という考え方も一類型に違いありません。標準的なナヴィゲーション手段ということを言い出せば、私には link 要素しか思いつきません。

この話に一類型であるかどうかは関係ありません。標準的なナビゲーションの話でもありません。私が「よく利用する便利な」という部分を強調していることに注意してください。分からなければそれで良いです。

えび
海老を取りにいってた。
Re: Su-5(Current Status 2003-09-10分) 続き

引っ掛かりを覚えるのは、アクセス・ログを無視して、すべての文書を等価にみる必要があるかということです。

Su さんの仰ることは、わかります。「アクセス・ログから独立して文書を評価する必要はない」という主張ですね。そうだとして、理由は?

日記の「最新版」にアクセスが集中しているのなら、ナヴィゲーション面で多少の冗長性を持たせても良いのではないかと思います。

理由が分かりません。これが理由ですか?

同じ内容がログに回る訳ですから、そちらですっきりと見せれば済むことではないでしょうか。

何故「ログですっきり読めること」が、最新版のナビゲーションは冗長性を持たせてよい理由になるのでしょうか。それとも、アクセスが集中している、ということが理由ですか? 何故、アクセスが集中していると、最新版のナビゲーションに冗長性を持たせてよいのですか?

各文書で共通のレイアウト・ナヴィゲーションを提供することはユーザビリティとして重要と言われていますが、一日に三桁のアクセスがある文書と、年に二ケタのアクセスしかない文書とでは、サイト内での重みも利用のされ方も違ってくるはずです。

Su さんの仰ることは、分かります。年中アクセスする文書がそのサイトの顔の役割を担うなら、サイトを色々見て回る閲覧者にとって便利かもしれません。

Su さんは 「Su さんの想定する閲覧者」にとっての最適な解を求めている。それで良いではないですか。私は、どういう閲覧者が、どういう目的で、どういう利用の仕方をするのか、想像しきれません。だから、プロが行ったサーベイを参考にしつつ、閲覧者ではなくて、文書を中心に考えているだけです。

論文の書き方・実践編

論文とは、結論を持った文章でなくてはなりません。結論に同意するよう説得し、その結論を守り抜くように構成された、ひとまとまりの文章が、論文です。

(省略)

論文のどの部分も、結論を支持し、読者を説得する目的に貢献していなければなりません。どうでもいい部分は読者を疲れさせ、不機嫌にします。

これを守らない論文は、さっぱり意味が分からない。つまり理解される心配はない。ゆえに反論する必要はない。

序破急
今後、Personnelでは出来る限り序破急を取り入れていくつもり。これをひっくり返せば、だらだらと長引かずに済み、ピラミッド型の論理展開が望ましいとされるウェブとの親和性が高くなるため。