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「かかわりを持つのは文書であり、思想であっても、個人ではありません」

まずこの文章には大きく2つの意図があります。
1)意見や思想にバイアスをかけたくないので、
  その可能性があることはしたくないですよ〜。
2)純粋に意見や思想を発信したいと思ってブログをやっているので、
  理想的にはそれを発したワタシ個人とは切り離して、受け止めてほしい
ということです。

ワタシ個人と切り離して、受け止めて欲しい、というのは、前後で一貫性の無い事を書いても突っ込んでくれるなという予防線とも受け取られかねないし、それ以前に、読者に「読み方」をお願いするのは止めておいた方がよいと思う。意見や思想を個人と切り離すべきか否かは、読者がどういう目的を持っているかによるし、またその内容にもよる筈だからだ。

私の場合、一番最初にWWWに文書を公開した時の挑戦的な気持ちを忘れずに居られるなら、実は理屈は何だっていいわけで。それさえ失わないなら馴れ合いだろうが何だろうがやってもいいと思っている。

自分が一番大切にしたい気持ちを忘れて暴走した故に、閉鎖、移転をして新しくサイトをやり直す、という人が多くて困る。

Re: 途中に異なる見出しレベルを含んだ地の文章は有りだと思うその3

元々1つの section の内容が分け難い一体の物として書かれていたとして、ろばQにはそれが問題のある文書の構造とは思えないのですが。

構造の問題が「分け難い」という形で顕在化した一例を挙げたに過ぎませんから。他にも、自動で目次を作成する場合を考えてみれば、例の見出しのない跋文のような部分は目次から漏れてしまいます。これを回避するにはその部分に対して「ラベル」を新たに与える必要があり、ならば最初から見出しを与えていれば良かったわけです。「目次を自動で作成できない文書構造に問題があるとは思えない」あるいは「漏れても問題は無い」というなら、まだ事例は用意してあります。ろばQさんにとっての「問題」が何を意味しているのか私は知りませんし、自分にとってのそれも説明が難しく、説明したとして観念的な話になってしまいがちなので、ただひたすら事例を。