構造と内容の分離

非常に懐かしい文書をdeztec.jpが保存しておいてくれた。構造と内容を分離し、ウェブページを動的に生成してサーブするのが制作者にしか利益がないのに対し、CSSによってセマンティクスと表現方法を分離するのは広く閲覧者に利益がある。そこが何しろ重要な点だということが分からないから、実際には、相対的なものにすぎないなどと書けるのだろう。

しかし構造と内容の分離こそ、制作者の自慰行為に「過ぎない」。しかもここで例示されている「構造」は文書構造ではなく、パーツである。文書には内容と構造があるが、実はこれは不可分なのだ。昔XSLTを利用してフラットな「自家製XMLインスタンス」と構造を分離した気になっていたことがあったが、分離などではなく、暗黙的に存在していた文書構造をXHTML1.0という形式を用いて明示しただけの話だということに、やってみて気づいた。そして、文書型宣言やナビゲーションなどのウェブページとしての「パーツ」をくっつけていただけなのだ。それは文書の構造ではない。ウェブページとしての体裁を保つためのパーツである。

しかしそんなものを分離してみたところで、閲覧者に何の利益があるのか。もちろんないから、私は変換後の静的なHTMLを公開した(サーバの仕様上不可能であったためでもあるが)。そしてHTML+CSSによるセマンティクスと表現方法の分離と比べて、いかに公開価値がないものであるかも理解した。つまり分離しているという状態の公開価値がである……。

2007年8月21日 妖精現実ファアリアル(faireal.net)は、負荷を減らすため、通常のページの一部を一時公開停止しています。すぐに記事を見るには、XMLの生データを参照してください。

そして現在に至る。XMLの生データとは何か。静的なHTMLを公開しない(できない)理由が、私にはちっとも理解できない。

追記:

[教育]妖精現実は2ch人大杉と同じ。文句言うなら募金しなさい。

このAYBABTUみたいな馬鹿に「教育」される人間はいないと思う。読み直せ。妖精現実? そんなサイトの事なんか知らん。悪いが読者でもない。内容と構造の話しかしていない。そんなリスクの小さな「そーしゃるぶっくまーく」なんぞという殻にこもって「低能」だの何だの中傷していないで、堂々と出てきたらどうだ? 最低だぞお前。