XMLにおける「ボヘミアンと貴族の階級闘争」を読み解く
例えばある属性の値がURIであるとき、XML Schemaではxsd:anyURIでそれを示す(QName)。XSLTプロセッサは、そのようなデータ型を知ることができれば色々便利なのだけれども、そのためにはスキーマにアクセスする必要がある。しかしXSLT変換にスキーマが必須になってしまうと柔軟性が無くなってしまう。というわけで、Tim Brayさんが言うように、スキーマを利用する部分と基礎的な部分がきちんと分離されていれば良いわけだけれども、何故「well-formed XMLとvalid XMLの対立構造」のような話になっているのかが疑問。分離しておけば両立するのでは。
用途によってはどちらも正しいのだけど、標準規格が縛ってしまうのが馬鹿げていることは明らかだ。「valid XMLでなければ意味が無い」と考えている人を「貴族」扱いするのは間違い。ユーザーの立場として当然ありうる態度だろう。そういう人達と、標準規格で縛ろうとする人達をごっちゃにするのは差別意識であるとしか言いようがない。貴族って言いたいだけなん(以下略)。